神は存在する。それが証拠に数学には矛盾がない。悪魔も存在する。それが証拠に我々は数学の無矛盾生を証明できない *タイトル画像は六本木ヒルズからの夜景。。。。

科学、アインシュタイン、神

科学者の宗教感覚は、自然法則の調和に対して感じる至福の驚きという形をとる。それは、途方もなく高度な知性が存在することの証であり、それに比べれば、人間の体系的な思考や行動など、その知性のちっぽけな投影にすぎない。その感覚こそ科学者の人生と仕事を導く指針である。・・・・その感覚が、あらゆる時代を通じて宗教の天才たちを虜にしたものと酷似していることは疑う余地がない

アルベルト・アインシュタイン、「わが世界観」、1934年 

 

神の視点

数学者がアルゴリズムについて考える場合、ふつう、神の視点から考える。たとえば、数学者が関心を持つのは、ある面白い特性を持ったあるアルゴリズムが「存在すること」または「存在しないこと」の証明だ。それを証明するのに、議論の対象であるアルゴリズム自体を実際に発見する必要はない。

ダニエル・デネット、「ダーヴィンの危険な思想ー生命の意味と進化」、1996年 

 

神と無限

神の知識といえども無限なるものには及ばない、などという者は、不信心者の住む地獄へとまっさかさまに堕ちるがいい。神がすべての数をご存じないなどと・・・・どこの狂人がそんなことをいうのか・・・・我らの如き卑小な存在が、こともあろうに神の知識に限界があると考えるとは何事か

アウグスティヌス、神の国、412年

科学における同時性

ニュートンライプニッツ微積分法を同時に発見したことを考えれば、科学の分野では、なぜ別々に研究している人々が同時に同じ発見をすることが多いのかと不思議になる。たとえば、チャールズ・ダーヴィンとアルフレッド・ヴォレスは、それぞれ独自に進化論を考えた。1858年、ダーヴィンは、ヴォレスと同時に提出した論文で自説を発表した。ヴォレスも、ダーヴィンと同じ自然淘汰説を唱えた博物学者である。

数学者ヤノシュ・ボヤイとニコライ・ロバチェフスキーが双曲幾何学をそれぞれ独自に、しかも同時に創始したのも同時性を示す例だ。このように同時に発見が行われる理由として最も可能性が高いのは、それまでに人類が蓄積した知識があるレベルに達していて、その発見が行われるための機が熟していたというものだ。一方で、そのような偶然の一致にはもっと深い意味があるとする神秘主義者もいる。オーストラリアの生物学者パウル・カンメラーはこう書いている。

ここにきて浮かび上がるのは、常にかき混ぜられ、並べれらるにもかかわらず、似たものどうしを結びつける働きもあるモザイクの世界や万華鏡の宇宙というイメージだ。

カンメラーは、世界のさまざまな事象を、一見するとそれぞれが独立して互いに何の関係もないように見える海の波頭にたとえている。物議をかもした彼の説が正しいとすれば、私たちには波頭しか見えないが、海面下では、不思議な力で世界の事象を結びつけ、それらの事象をひとつにまとめる、ある種の共時性メカニズムが働いているのかもしれない。 

 

エイブルソンとニュートン

私が誰よりも遠くまで見通せたとすれば、それは私が巨人たちの肩に乗っていたからだ

*1

私が他人ほど遠くまで見通せなかったとすれば、それは巨人たちが私の肩に乗っていたからだ。

*2

 

ブレーズ・パスカル (1623〜1662)

スランスの幾何学者、確率論学者、物理学者、哲学者、組み合わせ理論学者。それと同時に、信仰心に厚く、カトリック教会内部のカルヴァン派疑似プロテスタントグループであるジャンセニスト派の指導者でもあった。パスカルは、キリスト教徒になることが理にかなっていると考えていた。死んだ後、神が存在しなかったとしても、キリスト教徒が失うものは何もない。逆に、神が存在すれば、懐疑主義者はすべてを失って、地獄に落ちるのに対し、キリスト教徒は天国に行くという恩恵を得るからだ。
伝説によれば、パスカルは子供のころ、神の存在の証明を試みたという。「いるならここに姿を現せ」と神に命令するわけにもいかないのて、まず悪魔の存在を証明し、そこから神の存在を推論しようとした。そこで地面に五芒星を描いたのだが、その儀式が怖くなり、その場から逃げ出した。パスカルは、その体験を通じて神の存在を確信したと語っている。
1654年のある晩、パスカルは、自身が「火の夜」と呼ぶ2じかんに及ぶ神秘体験で炎に包まれ、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、………、そしてイエスキリスト」に出会った。彼は「覚え書」にその体験を記している。パスカルの死後、彼が着ていた上着の裏地に「覚え書」の一節が書かれた紙切れが縫い込まれていたことがわかった。それはパスカルが神秘体験を忘れないように肌身離さず持ち歩いていたメモだった。そこに書かれていたのは次の一節だ。
私はイエス・キリストと私を導いてくださる霊的指導者に絶対服従します。
地上での試練の一日は私にとって永遠の歓喜となりました。
私はあなたの御言葉を決して忘れません。アーメン


アイザック・ニュートン

イギリスの数学者、物理学者、天文学者であり、微積分法の共同発明者であり、万有引力の法則を発見したことで名高い。予言を中心とする聖書の題材に関する著作も多い。

ニュートンが、科学や数学の論文の著者として認知されていたのと同様に、神学の論文の著者としても認知されることを望んでいた創造説論者でったことは、おそらくあまり知られていないだろう。ニュートンは三位一体説に対抗するキリスト教の単一性を信じていた。彼は運動を説明する手段として、微積分法を開発したが、自然と実在をより明確に理解することを通じて紙の本質を理解することも、おそらく微積分法を開発した目的だったのだろう。ニュートンは聖書に敬意を払っており、聖書に記されている天地創造の説明を受け入れていた。